S__8085509日暮れ前のメタセコイア広場@平和公園

子どもたちは夏休みです。

海、山、川、テーマパーク。楽しみは色々あるけれど、忘れてはならないのが宿題。ホームワークです。特に小中学生はほとんどの場合「夏休みの自由研究」があるわけで、これに頭を悩ます、もしくは悩ました経験のある人も多いと思います。

クラスに何人かは力作仕上げてくる子がいましたよね。当時、加藤くんっていう小学生からずっと同じバスケ部だった子がいまして。ダムの仕組み調べて模型作ってきたり、10冊以上の本を参照して天体についてまとめてきたり、ぶっちゃけ大人の影が見えるようなプロジェクトを毎年発表しては、賞をかっさらっていました。

昨今話題の業者による宿題代行みたいな話は論外として、大人(家族や周りの人)はどこまで子どもの宿題に関わっていいものなのか。

 

|自分から勉強する小学生

結論から言うと、僕は「本人への信頼」(後述)があることを前提に、大人が関わっていくことに賛成です。それでもガンガン関わっていいのは中1くらいまでかなって思いますが(そこはケースバイケース)。それ以上の学年になると、本人の自主性が育ちにくくなるという弊害の方が大きい感じがしています。

自由研究の前に普段の勉強への関わり方について。そもそもですが、「ウチの子全然自分から勉強しないんです」という話は珍しくもない話で(親御さんからしたら深刻なのですが)、そうだな〜、今までの実感からすると例えば小学生だったら7割くらいはそんなものじゃないでしょうか。

当時の自分を思い返せば分かりますが、遊ぶのに夢中です。日が暮れるまで工作とかムシ取りとかできてしまう無邪気さがその年頃の最強感であって、そこは尊重してあげたいですよね。(僕はどっちかと言うと日没まで友達とマリカーとかやってましたけど。ドリフトの練習して。)

「ただ、そうは言っても将来が心配だし」って親御さんの気持ちも痛いほど分かるわけで、そこに共感できなければこの仕事はやってません。そこで、メリハリっていうか「やることはやろうよ」って話になってくる。

ちなみに、小学生ながら「きちんと勉強してる」って子はもちろんいます。確実にいます。質問を受けると大抵この例を挙げますが、大別すると2パターンです。

①受験など、本人に明確な動機がある

②家族による前向きなサポートがある

①について、きっかけは何であれ差し迫った目標があるとやりますよね。エンジンのかかる時期はそれぞれですが、そこに「理由」があれば人は動きます。

僕は中学受験はしていないですが、小5の時に友人の影響で塾に通い出して、たまたま特選クラスっていう上のクラスに紛れ込んだのですが、そこで初めて受けた算数のテストで人生初の17点を取りました。学校のテストとは全然違って、めちゃくちゃ難しかったのは事実なのですが、その時は17という数字が全てでありリアル。それがもう悔しくって。親に言って参考書買いに行って、必死に勉強しました。そんな話もある。

要は動機です。人に言われてどうの、ってのもあるでしょうが、「体験」により与えられる説得力はものすごいな、って僕はその時実感しました。

 

 

| ポジティブな「大人の影」

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②の「家族による前向きなサポート」は、冒頭の加藤くんの例でも書いた「大人の影」ってやつですが、実はこれはネガティブな意味ではありません。(ネガティブな例ってのは、例えば本人の意志を100%無視して机とイスに縛り付けてやらせたりすることです。それは虐待。)

そうではなくて、いわゆる「いっしょに見てあげる」っていうスタンスです。特に小学生は、よくできる子どもさんを観察すると、家族のサポートがきちんとあることがほとんどです。

過保護との線引きの問題もありますが、「信頼の上に成り立つ温かい親子関係」ってイメージです。こんな例は多くないと信じたいですが「どうせダメだから見てあげる」なんていうような「不信を元にした過保護」ってのが最悪です。そういう気持ちは子どもにもすぐ伝わり、悪循環を引き起こすと思います。

「そんなこと言って、所詮は他人だからそんな綺麗事が言えるんでしょ。実際親子は色々あるんだよ。」というシビアな意見が聞こえてきそうですが、もう少しだけ書かせてください。

確かに僕はまだ独身で子どももいないので、本当のリアルなところは知りようもないです。が、家庭に出入りさせてもらうという仕事柄、親子関係への想像力は人一倍働きます。なかなかテストで結果が出なかったり、宿題を提出してないと学校から連絡があったり、何度言っても弁当箱や水筒をカバンから出さなかったり(笑)。そういうことが積み重なれば、不信ってのは言い過ぎにせよ「こちらがやってあげないと」って気持ちになるのが自然ですよね。

だた、自分も気をつけないとそうなってしまうのですが、それを理由に叱りっぱなし、小言言いっぱなしってのは、僕らサイドの一時のストレス解消になることはあっても、問題解決には至りにくいです。ちょっと長くなってしまったので、最後に生徒さんに僕が学ばせてもらった話で締めたいと思います。

 

|自由研究の楽しみと益

研究全国トーナメント的な@Google画像検索で「自由研究」を調べた結果

自由研究の話に戻りますが、今何人か中1の生徒さんを担当しています。夏休みがスタートしたこの週は、気合いを入れていっしょに宿題の計画を立てたり、この夏の目標を決めたりしました。

ある男の子とは、休み明けのテストで自己ベストを取りたいということで「7月中に宿題を終わらせて、8月中盤から2学期に向けてがんばろう」とミーティングをしました。長い夏休み、楽しい計画もあるのでしょうが(それもめっちゃ大事)、課題を先延ばしにしないように計画はちゃんと立てる。そこで自由研究の話になったのですが、口をすぼめたあとに「はー、自由研究めんどくさい」と。

それがちょっと意外で、何でかって彼は工作とかアート系のことが本来大好きなはずだからです。それが「宿題」ってなっただけでこんなにテンションが下がるという。このしぼみ具合はもったいないので、ちょっと空気入れてあげな、と思い「面白いテーマ絶対あるって。今から適当に言ってくから、ピンときたらメモって」とけしかけました。

社会の教科書をパラパラめくりながら「天平文化について、遣唐使の航路、卑弥呼のまじない…」と続けました。最初はうーん、と言っていましたが、10個目くらいに「中国の甲骨文字を解読して模型を作る…」と何気なく言うと、ちょっと目が輝いて「面白そう」だと。

一度スッと空気が入ったらその後はずっと楽で、いくつかのテーマをメモった後にすっかり楽しい想像が膨らんで、元の潤いを取り戻していました。その後普通に英語の授業もしたのですが、ふと途中で「さっきの研究、こんな案思いつきました」って挟んでくるくらいで、ウキウキ楽しそうでこれが本来の姿だろうなー、と。

何が言いたいかって、自分が手を下したから云々なんてのはどうでもよくて、ちょっと視点を変えたり、一筋のヒントみたいなことを与えるだけで全然違うんだな、ということです。だから、ポジティブな意味での「大人の影」は正しく必要なものなのだろうと。

あと、自分も去年はこういうところまで気が回らなかったんですよね。それこそ「成績を上げなければ」ということに躍起になっていた気がします。一見すると回り道のようだけど、例えば自由研究を軽視せず好奇心を刺激することが、勉強なり夏休みに潤いを与えることになるし、あらゆる面でプラスに働いてくるのではないかと。10年こういう現場に関わっても、まだまだ学ぶことだらけっす。

S__8085510Sunset@以上、近所の公園よりお届けしました。

 

【おまけ】

宿題についてワラワラと書いていたら、アニメ幽遊白書の「ホームワークが終わらない」が脳内で無限ループし始めたので、この郷愁を同年代の人と共有すべく下記にYoutubeリンクを貼っておきます。ご照覧あれ。


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Last Modified: 7月 25, 2015

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